伊藤 秀樹 駐スーダン日本国特命全権大使 ― ご挨拶

9月4日に、駐スーダン大使として着任した伊藤です。スーダンと言っても、ほとんどの日本人にとっては、名前は聞いたことがあるが、と言う程度のなじみの薄い国かもしれません。
スーダンは、2011年7月に南部が南スーダン共和国として分離独立しましたが、それ以前はアフリカで最大の面積を有する国、分離後でも3番目の面積、日本の5倍の面積の国土を持つ国です。ウガンダ南方のビクトリア湖に源を発する白ナイル川と、エチオピアのタナ湖に源を発する青ナイル川が、スーダンの首都ハルツームで合流し、ナイル川本流となり、北にあるエジプトに続くと言えば少しはイメージがわくでしょうか。また、現在のスーダン北部に当たる地域を支配していたクシュ王国が、紀元前8世紀にエジプトをも支配下に収め、エジプト第25王朝を樹立し、ブラック・ファラオと呼ばれたと言うと、更に親近感がわくかもしれません。その前後もエジプト文化の影響は強く、実はスーダン国内には、形や規模の違いはありますが、エジプトよりも数多くのピラミッドが残され、今では世界遺産となっています。
スーダンは、南北にはイスラム世界とサブサハラ世界の境界地帯、また、東西には西アフリカとアフリカの角の間に位置し、戦略的に非常に重要な地域となってきました。高校で世界史を勉強された方は、第一次世界大戦前の英仏協商のきっかけとなった「ファショダ事件」が起こったのがスーダンだった(ファショダ村は現在はコドクと呼ばれて、南スーダンに位置しています)と言うと、なるほどと思われるでしょう。
7か国と国境を接し、これだけ広大で、また、アフリカでも最も多様と言われる民族構成の国であるスーダンは、1956年の独立以来、幾多の政治的変転を経てきました。特に、アラブ・イスラム系の多い北部とアフリカ系・キリスト教徒が多い南部の対立が続いてきました。この対立は、南スーダンの独立に至りましたが、その後も国境の画定や治安問題などの課題を抱えています。また、国内においても、ダルフール地域、南コルドファン州、青ナイル州では依然として政府軍と反政府勢力との間で紛争が続いています。経済的にも、南スーダンの独立により石油収入が激減したことによる財政の悪化とインフレーションに苦しんでいます。
日本は、1956年にスーダンと外交関係を樹立して以来、2005年からODA総額で12億ドル以上に及ぶ継続的な支援を行っています。この中には、無償資金協力、草の根・人間の安全保障無償資金協力、技術協力として日本人専門家や青年海外協力隊員の派遣、スーダン人研修生の受け入れ等が含まれており、スーダンの民生向上を支援してきました。
スーダンは、地政学的に重要な国であり、スーダンの平和と安定はスーダンの近隣諸国、そしてアフリカ全体の安定にとっても重要です。日本は、様々な政治的問題はあるものの、スーダンとの協力を通じ、親日的なスーダン国民との友好関係の強化を図り、ひいてはアフリカ地域、そして世界の平和と安定に寄与していく考えです。今後とも、日・スーダン両国関係の促進のため、スーダンに関わる皆様のご指導、ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
2014年9月
駐スーダン日本国特命全権大使
伊藤 秀樹